真田家が朝鮮出兵(文禄の役)の後、秀吉に命じられた事とは?

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真田昌幸、幸村などで知られる真田一族。豊臣秀吉は1592年の文禄の役(真田家)の後、とある事を家臣の真田家に命じました。それは一体何でしょうか。

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答えは「伏見城の普請工事」

  回答内訳

470人 が回答済です

徳川家康の動向の監視(186回答)
39%
真田領の大規模な検地の実施(56回答)
11%
伏見城の普請工事(143回答)
30%
2回目の朝鮮出兵(慶長の役)の計画(85回答)
18%

※未回答での閲覧回数は 36回

 解説

真田一族は朝鮮出兵の日本の拠点とされた名護屋城に参陣はしていますが、1592年の文禄の役では朝鮮に渡海していない可能性が高いようです。そのためかはわかりませんが、文禄3(1594)年の3月~9月までの期間、伏見城の普請(= 土木・建築の工事のこと。)を命じられています。

真田一族による伏見城普請の功労が認められた影響でしょうか。この期間中の4月には、秀吉の計らいで、真田昌幸が朝廷から、参内を許される身分である「諸大夫」という官職を与えられています。また、同年11月には子の信之(信之)と幸村にも与えられているのです。


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