真田昌幸・信繁父子が籠城した上田城は、関ケ原での敗戦後にどうなった?

上田城

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍に属し、上田城で抵抗を続けていた真田昌幸・信繁父子ですが、決戦で石田三成が敗れたことで、最終的に降伏・開城を余儀なくされました。さて、その直後、上田城はどうなったのでしょうか?

( 正解率は 47 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「徹底的に破壊された」

  回答内訳

23人 が回答済です

改修が加えられた(4回答)
17%
徹底的に破壊された(11回答)
47%
すぐに現在の上田城が建てられた(3回答)
13%
そのまま現状維持となった(5回答)
21%

※未回答での閲覧回数は 4回

 解説

城を明け渡した真田昌幸・信繁父子は紀州九度山へ蟄居(ちっきょ)となり、上田城は徳川方の手に渡りました。

その直後、上田城は徹底的に破壊され、更地となってしまいます。新たに引き継いだ信之は上田城を改修することなく屋敷を建てるに留めました。

信之が松代へ転封すると、新たに藩主となった仙石忠政は上田城の改修に取り掛かります。

こうして現在見られる上田城が完成したのです。

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