平治の乱の後、まだ若かった源頼朝が助命されたワケは?

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平治の乱(1159年)での敗戦により、捕虜となった源頼朝は本来処刑されるはずでした。しかし平清盛の継母・池禅尼(いけの ぜんに)の嘆願によって助命されています。それはなぜでしょうか? ( 正解率は 70 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「池禅尼の亡き息子に似てたから」

  回答内訳

85人 が回答済です

池禅尼の亡き息子に似てたから(60回答)
70%
事前に敵から賄賂を渡されていたから(4回答)
4%
頼朝の類まれな才能を感じ、惜しんだから(11回答)
12%
池禅尼自身が実は源氏の血をひいていたから(10回答)
11%

※未回答での閲覧回数は 5回

 解説

 『平治物語』という軍記物語によると、当時13歳だった頼朝の姿に、池禅尼は早世した自分の息子(平家盛、清盛の異母弟)の面影を感じ、清盛に助命を嘆願したとされています。当時の武士社会では敵からの報復を防ぐため、戦闘員は処刑するのが当たり前でした。そのため頼朝が死刑を免れたのはかなり珍しいことでした。

 武士の慣習を破ってまで頼朝が助命された裏にはどうやら政治的な理由があったようです。頼朝は昔、後白河法皇(ごしらかわほうおう)の姉である上西門院(じょうさいもんいん)という人物に仕えており、両者から可愛がられていました。池禅尼も両者との関係が深かったため、彼らが池禅尼を通じて頼朝の助命を命じていた可能性が指摘されています。


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