正解!
ざんねん…
答えは「初代内務卿(事実上の首相格)となった」
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大久保利通は江戸時代末期から明治初期に活躍した武士・政治家で、とくに明治政府になってからは実質的な最高権力者として内政に尽力し、西郷隆盛、木戸孝允と並ぶ「維新三傑」の一人と言われた人物です。 利通は薩摩藩(鹿児島県)の下級武士の子として生まれ、近所には幼なじみで3歳年上の西郷隆盛がおり、互いに切磋琢磨し合う仲でした。 父親が藩のお家騒動に加担して島流しとなり、利通も職を追われるという苦しい青年時代を経て、名君である薩摩藩主の島津斉彬に抜擢された西郷とともに国事に奔走します。斉彬の死後は、後継者となった島津久光に取り立てられます。 藩内に反幕府の機運が高まるなか、慶応2年(1866)には長州藩(山口県)と薩長同盟を結び、討幕運動を具体化、翌慶応3年(1867)の王政復古のクーデターでは、岩倉具視とともに天皇中心の政権樹立に力を注ぎました。 明治新政府では参議を務めた利通ですが、転機となったのは欧米各国を巡った新政府の遣外使節団に参加したことです。イギリスやドイツで近代国家について学んだ利通は、「内政の充実こそが必要」だとの思いを強くしました。 その頃、使節団の留守を任された西郷らが「征韓論」を推し進めようとしていました。帰国した利通は、岩倉らとともに内政第一との立場から征韓論に反対し、幼なじみである西郷と激しく対立。大論争や政治的駆け引きの結果、利通ら反対派が勝ち、敗れた西郷らは政府から下野しました。これを機に利通は、行財政と警察機構を束ねる内務省のトップに就任、明治政府の事実上の最高権力者となるのです。 利通は中央集権国家を理想とし、その担い手となる官僚機構を構築していきます。これに対し、西郷をはじめとする士族たちは政府への対決姿勢を鮮明にし、各地で反乱を起こしました。士族反乱の中でも、最大にして最後の反乱が、明治10年(1877)の西郷による西南戦争です。利通は近代的な軍事力をもって鎮圧に乗り出し、西郷を自刃に追い込んで戦争を終結させています。 新しい国づくりを進めようとした矢先の明治11年(1878)、利通は不平士族によって東京の紀尾井坂で暗殺されてしまいました。まだ働き盛りの47歳でした。 官僚政治家のイメージが強い大久保利通ですが、幕府軍と新政府軍が激突した鳥羽・伏見の戦い(慶応4年)の時には、京都御所に陣取って一歩も退かず、動揺する公家たちに睨みをきかせていたそうです。また、征韓論で西郷と対決する前には家族に遺書を書いたり、士族反乱の佐賀の乱では陣頭に立って指揮をしたりと、命がけで天下国家に尽くした人でした。 ちなみに回答選択肢の「大政奉還の発案者として明治維新を実現した」人ははっきりしていませんが、大久保一翁、坂本龍馬などの名があげられます。「日本人として初めてアメリカに上陸した」人はジョン万次郎、「日本銀行の初代総裁となった」人は吉原重俊です。
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