若き頃の真田昌幸は、武田信玄の「何」に例えられていた?

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主君の武田信玄から寵愛されていた若き頃の真田昌幸。『甲陽軍鑑』において、彼は「信玄の●●の如き者たち」と例えられて、信玄から高い信頼を得ています。さて、●●には何が入るのでしょうか?

( 正解率は 55 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「両眼」

  回答内訳

384人 が回答済です

手足(62回答)
16%
両眼(213回答)
55%
頭脳(84回答)
21%
息子(25回答)
6%

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 解説

真田昌幸は7歳の時に、武田信玄のもとに人質に出され、武将としての英才教育を受けており、信玄から寵愛されていたようです。

『甲陽軍鑑』によると、元亀元年(1570)、伊豆へ攻め込んだ信玄は、北条氏政が迎撃をしに出陣してきたところ、氏政隊を打ち破って、そのまま北条氏の本拠である小田原まで進軍しよう、と家中の者たちに提案しました。

これに対し、家臣の馬場信春が、「敵の配置や地形を知るべき」と、慎重な行動をとるよう諫めますが、信玄は「それならば皆々安心せい。わしの両眼の如き者らを、物見に派遣しておる」と答えたといいます。

信玄の両眼とはいったい誰なのか、家臣たちが噂をしていると、まもなくして真田昌幸と曾根昌世の二人が戻ってきて、戦況を正確に整理し的確に伝えました。

そのおかげで信玄は、自分の目で見たように状況を把握し、正確な判断ができました。この出兵以後、「信玄の両眼」と言わしめた 真田昌幸、曾根昌世、三枝昌貞の3人は家中でも一目置かれる存在になった、という話です。


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