有楽町の地名の由来になった人物は誰?

有楽町の数寄屋橋交差点。数寄屋橋御門もこの近くにあった。

江戸の地名には今でも残る物も多く、東京の有楽町(東京都千代田区)もその一つです。有楽町の由来となった、乱世を渡り歩いた武将は次のうち、誰でしょうか?

( 正解率は 66 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「織田長益(おだ ながます)」

  回答内訳

51人 が回答済です

藤堂高虎(とうどう たかとら)(6回答)
11%
織田長益(おだ ながます)(34回答)
66%
細川幽斎(ほそかわ ゆうさい)(7回答)
13%
山内一豊(やまうち かずとよ)(4回答)
7%

※未回答での閲覧回数は 8回

 解説

織田長益は織田信長の実弟で、戦国を代表する茶人でもあります。

1582年の本能寺の変の際には甥の織田信忠に仕え、ともに二条御所にいましたが、難を逃れています。その後は秀吉に仕え、仏門に入って有楽斎(うらくさい)を名乗りました。

1600年の関ヶ原の戦いでは徳川家康率いる東軍に参加。江戸時代には徳川家康・秀忠父子に仕え、大阪の陣の後は京都に隠棲し、余生を送りました。

関ケ原合戦のあとには、江戸城東南にある数寄屋橋御門のそばに屋敷を拝領。そのあたりが有楽原(うらくがはら)と呼ばれ、明治時代に有楽町と名付けられたといいます。ただし、長益がここに住んだという記録はなく、近年では俗説とされているようです。

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