織田信長は、若いころに「大うつけ」と呼ばれていたという話は有名です。父の葬儀でも、抹香を投げる「うつけぶり」を見せています。そうした責任を感じ、自刃したといわれる織田家の家老は誰でしょうか?
( 正解率は 85 % )正解!
ざんねん…
答えは「平手政秀(ひらて まさひで)」
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平手政秀は、古くから織田家に仕え、信長の傅役(もりやく)を担うほど信頼される家臣でした。 豊かな教養を持つ風雅な文化人で、敵対勢力との和睦に一役買うほどの知恵者だったとか。「大うつけ」を続ける信長の姿に、傅役としての責任を感じ信長を諫めるために自害したという美談が一般的です。
『信長公記(しんちょうこうき)』には、政秀の子が信長の欲しがった馬を、差し出さなかったことから、二人の関係がギクシャクするようになったと書かれています。
でも、子供の戯言で切腹にまで発展することは考えにくく、平手一族の勢力が大きくなりすぎて、信長に反対意見をするようになり、次第に対立を始めたというのが正解のようです。
政秀が何らかの責任を取って自刃したことは間違いなく、信長は政秀のことを大切に思っており、高層沢彦宗恩(たくげんそうおん)を開山として政秀の菩提を弔っています。
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