戦国武将「小寺孝高」って一体誰のこと?

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出家や縁組などで時々改名した戦国武将たち。さて、一時期「小寺孝高(こでら よしたか)」と名乗っていたのは次のうち、誰でしょうか?

( 正解率は 86 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「黒田官兵衛」

  回答内訳

334人 が回答済です

豊臣秀吉(3回答)
0%
藤堂高虎(34回答)
10%
竹中半兵衛(9回答)
2%
黒田官兵衛(288回答)
86%

※未回答での閲覧回数は 37回

 解説

黒田官兵衛の「官兵衛」は字(あざな)と呼ばれるもので、明智十兵衛光秀の「十兵衛」や真田源次郎幸村の「源次郎」と同じ部類のものです。「光秀」や「幸村」の部分は諱(いみな)と呼ばれるもので、官兵衛の場合は「孝高(よしたか)」でした。黒田官兵衛孝高、がフルネームになります。

そして、官兵衛は当初は播磨国の小寺氏に仕える家系でした。この小寺氏と婚姻関係にあったので、官兵衛とその父は小寺姓を名乗っていました。その後、信長・秀吉の配下となり、小寺氏が信長と敵対したことから、官兵衛は小寺姓でなく、一族の元々の名字の黒田姓に戻りました。つまり、それまでの一時期、黒田官兵衛は「小寺官兵衛孝高」だったわけです。

また黒田如水の名前でも知られていますが、この「如水」は法号と呼ばれる出家後の名前です。武田「信玄」や大友「宗麟」などと同じ部類です。


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