本能寺の変の際、信長の三男・織田信孝は何をしていた?

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1582年、本能寺の変によって織田信長、そして嫡男の信忠は相次いで亡くなりました。さて、このとき、信長の三男である織田信孝(のぶたか)はどこで何をしていたのでしょうか?

( 正解率は 68 % )

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答えは「四国遠征軍を率いるため、大坂にいた」

  回答内訳

428人 が回答済です

本能寺で信長とともに宿泊していた(33回答)
7%
明智光秀の軍勢に加わり、丹波にいた(24回答)
5%
越後に攻め入るべく、信濃にいた(76回答)
17%
四国遠征軍を率いるため、大坂にいた(295回答)
68%

※未回答での閲覧回数は 52回

 解説

織田信孝は信長の三男として生まれ、伊勢の名族である神戸氏の養子となりました。やがて織田家の勢力拡大に伴い、各地を転戦しています。

天正10年(1582年)5月、信孝は四国遠征軍の大将として任ぜられ、四国平定後は讃岐国主とすることを約束されますが、翌6月に本能寺の変が勃発し、信長と嫡男信忠が亡くなってしまいます。

その時、信孝は四国へ渡海する準備のために大坂にいたものの、本能寺の変を聞きつけた兵たちが続々と逃亡する事態となり、すぐに明智光秀討伐に動くことはできなかったようです。

その後、中国地方から引き返してきた羽柴秀吉に合流し、名目上の総大将となり、明智光秀を討っています。


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