黒田官兵衛は本当に「天才軍師」だったのか…司馬遼太郎の小説と『黒田家譜』が作った人物像
- 2026/09/15
渡邊大門
:歴史学者
- ※本記事は一部にプロモーションを含みます
黒田官兵衛といえば、豊臣秀吉の天下統一を支えた「名軍師」というイメージがすっかり定着している。しかし、そもそも官兵衛は、いつ頃から「軍師」として語られるようになったのだろうか。また、後世の人々は官兵衛をどのような人物として認識してきたのだろうか。
実は、現在私たちが抱いている官兵衛像には、近代以降に刊行された伝記や歴史小説が大きな影響を与えている。史料から明らかになる官兵衛と、後世に作られた「名軍師」のイメージは、必ずしも同じではないのである。
実は、現在私たちが抱いている官兵衛像には、近代以降に刊行された伝記や歴史小説が大きな影響を与えている。史料から明らかになる官兵衛と、後世に作られた「名軍師」のイメージは、必ずしも同じではないのである。
【目次】
近代に広まった「名軍師・黒田官兵衛」のイメージ
官兵衛については、歴史家による研究だけでなく、数多くの小説が刊行されてきた。さらに、それらは映画やテレビドラマなどへと発展し、官兵衛の魅力を広く世間に伝えてきた。私たちが知る官兵衛像の多くは、こうした作品の中で『軍師』として描かれている。では、その人物像はどのように作られてきたのであろうか。まず紹介したいのが、福本日南の『黒田如水』(東亜堂書房)である。同書は明治44年(1911)に刊行された。福本は福岡藩士の子として生まれ、後年はジャーナリスト、政治家として活躍した。衆議院議員を務める一方、『栗山大膳』『直江山城守』など、歴史を題材とする著作も数多く残している。
近代になって刊行された官兵衛の伝記として、『黒田如水』は一定の読者を得た。豊臣秀吉の天下統一を支えた人物として、黒田官兵衛と竹中半兵衛重治を「二兵衛」と呼ぶことがある。両者とも通称に「兵衛」が付くことに由来する呼称である。
福本は官兵衛と竹中半兵衛重治をともに秀吉を支えた人物として高く評価しており、後世に定着する両者を並び称するイメージとも通じるものがある。なかでも官兵衛については、秀吉を理解するうえでも興味深い人物と考え、その生涯を伝記としてまとめたのである。当時の研究には当然限界があったものの、官兵衛の生涯をまとまった形で世間に紹介したことには大きな意味があった。
ただし、福本は、現在の大学などに所属する専門の歴史研究者とは異なり、ジャーナリスト、政治家、史論家として活動した人物である。したがって、使用した史料がどこまで信頼できるものだったのか、また個々の史実について妥当な解釈が行われているのかについては、慎重に検討する必要がある。
金子堅太郎『黒田如水伝』が後世に与えた大きな影響
大正5年(1916)になると、金子堅太郎によって『黒田如水伝』(博文館)が刊行された。金子は伊藤博文の側近として知られ、農商務大臣や司法大臣を歴任するなど、政治家として活躍した人物である。専修学校(現・専修大学)の創立にかかわり、日本法律学校(現・日本大学)の創立者の1人となったほか、のちには二松学舎の舎長も務めた。金子は歴史にも深い関心を持っており、『黒田如水伝』では「黒田家文書」など多くの一次史料を用いている。これは福本の著作とは大きく異なる点であり、その後の官兵衛研究に強い影響を与えることになった。
金子の生涯をたどると、『黒田如水伝』を執筆した背景も見えてくる。嘉永6年(1853)2月4日、筑前国早良郡鳥飼村に生まれた金子は、明治元年(1868)に父を亡くした。その後、銃手組に編入され、やがて藩命によって東京への留学を命じられた。
苦学した金子は、その後、政治家として大きな地位を築いた。こうした旧藩主黒田家への恩義も、『黒田如水伝』執筆の背景にあったと考えられる。黒田家への恩義に報いるために執筆されたのが、『黒田如水伝』なのである。
金子は日頃から官兵衛に関する史料を収集しており、黒田家所蔵史料の閲覧も許されていた。史料を紹介し、それに所感を加えることを基本とする執筆姿勢からは、できるだけ客観的に官兵衛を描こうとする意識が感じられる。
もっとも、恩義ある黒田家への遠慮がまったくなかったとは考えにくい。その点については、同書を利用する際に注意が必要であろう。
金子以後に刊行された官兵衛に関する概説書や伝記にも、『黒田家譜』など後世に編纂された史料に大きく依拠したものが少なくなかった。安藤英男編『黒田如水のすべて』も、官兵衛やその一族について詳しく記しているが、やはり二次史料が多く用いられている。
その背景には、官兵衛に関する同時代の良質な史料が必ずしも豊富ではないことに加え、後世に形成された逸話が多く、史実との切り分けが容易ではなかった事情もあったと考えられる。
こうした研究上の制約は、後世に形成された逸話や人物像が史実と混同される一因にもなったのである。
小説が決定づけた「軍師・官兵衛」の人物像
研究書以上に大きな影響を与えたのが、官兵衛を主人公とする小説である。官兵衛は波乱に富んだ生涯を送り、秀吉や信長、荒木村重など著名な人物とも深くかかわった。それだけに、小説の題材として非常に魅力的だった。おそらく、多くの人々が黒田官兵衛という人物を知る最初のきっかけになったのは、歴史研究書ではなく小説だったであろう。
戦前に刊行された代表的な作品としては、長谷川伸「黒田如水軒」(『講談倶楽部』12月号、1930)、武者小路実篤「黒田如水」(『キング』5月号、1935)、菊池寛「黒田如水」(『日本武将譚』黎明社、1936)、鷲尾雨工『黒田如水』(アカツキ、1940)などがある。
興味深いのは、それぞれの作家が描いた官兵衛像が大きく異なっていることである。
直木賞作家である鷲尾の『黒田如水』では、官兵衛は商家の若主人として登場する。実は小寺家の家老の子息という設定で、南蛮渡来の大砲を織田信長に披露し、キリスト教を説く場面まで描かれている。
小説である以上、創作の余地があるのは当然である。しかし、現在一般的に知られている官兵衛像とはかなり異なっており、当時いかに自由な形で官兵衛が物語化されていたかがわかる。
さらに広く読まれたのが、国民的作家として知られる吉川英治の『黒田如水』(朝日新聞社、昭和18年)であろう。同書はもともと『週刊朝日』に連載された小説である。
とりわけ印象的なのが、官兵衛が有岡城に幽閉される場面である。官兵衛と荒木村重をめぐる緊迫した心理描写は、読者を強く引き込む。吉川は『宮本武蔵』『新平家物語』など多くの歴史小説を執筆した作家であり、その力量によって官兵衛という人物も広く知られることになった。
司馬遼太郎『播磨灘物語』が官兵衛人気を決定づけた
戦後になっても、官兵衛を題材とした小説は次々と刊行された。松本清張『軍師の境遇』(角川文庫、昭和62年)は、高校生向けに書かれた作品であるが、秀吉を支えながら軍師の地位に甘んじざるをえなかった官兵衛の境遇を巧みな筆致で描いている。こうした下積みの人物や権力者の陰に生きた人物を描く点では、清張の力量が存分に発揮されている。ユニークな官兵衛像を描いた作品としては、坂口安吾『二流の人』(九州書房、昭和22年)も忘れることができない。同書の官兵衛は戦争を好み、自信のない自惚れ屋として設定されている。
秀吉から幾多の合戦で重要な役割を任されながら、結局は軽んじられていた。それゆえに「二流の人」だったというのである。現在の「天下を狙った天才軍師」という官兵衛像とは、かなり異なる。
また、「城井谷崩れ」を題材として、官兵衛の非道で無慈悲な一面を描いた作品として、海音寺潮五郎「城井谷崩れ」(末國善己編『軍師の生きざま』作品社、2008)がある。一方、海音寺は別の史伝『黒田如水』(のち『武将列伝 戦国終末篇』所収)では、これとは異なる角度から官兵衛を評価している。そこにも、官兵衛という人物を一面的に捉えることの難しさが表れている。
そして、官兵衛を描いた作品として最も有名なものの1つが、司馬遼太郎『播磨灘物語』(講談社文庫)である。同書は読売新聞に連載された作品で、現在に続く官兵衛人気の大きな起爆剤となった。
『播磨灘物語』によって官兵衛の生涯は魅力的に描かれ、多くの読者が官兵衛という人物に惹きつけられた。司馬の父祖は播磨にゆかりを持ち、官兵衛に抵抗した一向宗勢力の拠点だった英賀とも深い関係があったとされる。そうした背景もあってか、司馬自身は官兵衛という人物にかなり強い関心を抱いていたようである。
『黒田家譜』が作った官兵衛像をどう考えるべきか
このように、官兵衛をモデルとする数多くの小説が創作され、それぞれ異なる官兵衛像が世間に広まっていった。ただし、それらの作品が参考にした根本史料をたどっていくと、黒田家にかかわる後世の編纂物に行き着くことが多い。中でも大きな影響を与えたのが、黒田家の正史とも位置づけられる『黒田家譜』である。
もちろん、小説である以上、想像や創作が加えられること自体は当然である。しかし、その創作の土台となった史料そのものが後世に編纂されたものであれば、私たちが現在抱いている官兵衛像もまた、後世に作り上げられた人物像の影響を受けている可能性がある。
つまり、「名軍師・黒田官兵衛」は、官兵衛自身の生涯だけによって生まれたものではない。近代の伝記、研究書、歴史小説、そしてその背景にある『黒田家譜』などが積み重なることで、現在の官兵衛像が形づくられてきたのである。
では、その出発点の1つとなった『黒田家譜』は、官兵衛をどのような人物として描いているのであろうか。そこを検討することによって、「名軍師・黒田官兵衛」が誕生した背景が、よりはっきりと見えてくるのである。





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