井上円了が解明したこっくりさんの原理…なぜ「妖怪」の呼び名は生まれたか

  • 2026/08/27
井上円了の肖像(『明治徒然草』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
井上円了の肖像(『明治徒然草』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
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 今も昔も日本人を魅了してやまない「妖怪」。皆さんも水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』や柳田國男の『遠野物語』、小泉八雲の『怪談』などを通して、様々な妖怪のエピソードに親しんできたのではないでしょうか。

 今回は、そんな妖怪の真実を追い求めた明治の哲学者・井上円了のスタンスと、彼が解明した「こっくりさん」のからくりに迫ります。

化け物から妖怪へ 日本の近代化と呼称の変化

 「妖怪」はもともと古代中国の言葉で、世が乱れる前触れとして宮中で起こる天変地異などを指していました。現代でいう「怪異」に近い意味合いです。

 対する「もののけ」は日本固有の言葉です。平安時代の人々は、超自然的な現象やその存在を「もののけ」と呼んで恐れていました。

 ここでの「もの」は精霊・神霊・死霊・生霊など目に見えない森羅万象を指し、「け」は辺りに漂う名状しがたい気配を意味します。2つが合わさった「物の気(明確な実体を伴わない怪しい気配)」が、怪異全般を指す言葉として定着していきました。神道で忌避される「穢れ」の語源を「気枯れ」とする説からも、日本人がいかに「気」を重視してきたかが伺えます。延長5年(928)成立の『延喜式』でも、災厄を引き起こす荒神を「もの」と称しています。

 時代が下り、文政10年(1827)の『神遺方(しんいほう)』では、病気の原因とされる物の気の性質を「まじこり(呪詛から生じる瘴気)」「けだものけ(狐狸などの動物の気)」「たかかみけ(天狗などの気)」の3種に分類しました。

 江戸期刊行の草双紙にも「妖怪」の記述は出てくるものの、必ずと言っていいほど「ばけもの」とルビが振られていました。つまり、今日の私たちが「妖怪」と呼ぶ異形のものたちは、当時の人々にとって「物の怪」や「化け物」、あるいは単に「お化け」だったのです。

 実際、当時は『化け物かるた』や「化け物小屋」、『化け物尽くし絵巻』などは多数存在しましたが、『妖怪〇〇』と題した作品は皆無でした。室町時代の『付喪神絵巻』や幕末の『怪奇談絵詞』や『百鬼夜行絵巻』なども同様です。考えてみればそれも当たり前で、こうした作品を総称する「妖怪絵巻」という言葉自体、後世になってつけられた命名でした。

明治のこっくりさんブームは欧米の「テーブルターニング」から来た

 身近な怪異の代名詞ともいえる「こっくりさん」ですが、実は日本発祥ではありません。その起源は西洋の交霊会で行われていた「テーブル・ターニング」にあり、明治時代に日本へ伝来したものです。

テーブルを介して霊と交信を試みる「テーブル・ターニング」の風景(19世紀・フランス。パブリックドメイン)
テーブルを介して霊と交信を試みる「テーブル・ターニング」の風景(19世紀・フランス。パブリックドメイン)

 伝来の経緯には諸説ありますが、最も有力なのは明治17年(1884)、伊豆半島の下田沖に漂着したアメリカ船員がテーブル・ターニングを披露し、それが熱狂的に受け入れられて全国の寄港地へ広まったという説です。

 こっくりさんブームの背景には、明治25年(1892)にアメリカのパーカー・ブラザーズ社から発売された、ウィジャボードの普及も関係しています。ウィジャボードは26文字のアルファベットに0から9までのアラビア数字を加え、下段に「GOOD BYE」と記した盤面。これにプランシェットと呼ばれる自動筆記具を添えて霊と交信を試みるのが、最も一般的なテーブル・ターニングのやり方でした。ウィジャボード自体は小脇に抱えて持ち運べる大きさなので、外国船員が所持していてもおかしくありません。

 日本では西洋風のテーブルの代わりに、3本の細竹で支えた「お櫃(ひつ)」などを使い、その天板が「こっくり、こっくり」と傾く様子から「こっくりさん」の名がついたとされています。「狐狗狸」と漢字があてられたのは、日本人にとって身近な動物霊の代表格だったからでしょう。

こっくりさんの風景(『奇態流行史』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
こっくりさんの風景(『奇態流行史』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 井上円了の著書『妖怪玄談』の表紙には、机代わりのお櫃を囲んでこっくりさんに興じる和装の男女が描かれていますが、思いのほか和気藹々とした雰囲気ですね。初期のこっくりさんは10円玉や五十音表を使わず、お櫃の蓋の回り方で吉凶を占うハンドメイド感あふれるものでした。このブームは明治17年から20年頃にかけて、約3〜4年ほど日本中を席巻したとみられています。

偉大なる妖怪博士の誕生

 井上円了は安政5年(1858)、新潟県長岡市に生まれました。生家が寺だった影響でしょうか、幼い頃から妖怪の話を好み、障子の隙間から何かに覗かれたり、ふとした時に怪しい気配を感じたりといった不思議な体験をしていたそうです。

 上京後、東京大学で哲学・論理学・心理学を修めた円了は、その過程で英国の心霊現象研究協会(SPR)の活動に触発され、明治19年(1886)に「不思議研究会」を発足します。雑誌広告で広く怪談や妖怪体験談を募集したところ、全国から500通を超える手紙が殺到したとか。ちなみに、この年に、後に「千里眼ブーム」で日本中を騒がせる御船千鶴子や高橋貞子が誕生しているのもなかなか興味深い偶然ですね。

 巷で流行するこっくりさんにも強い関心を持った円了は、さっそく実験を開始します。被験者をグループ分けして観察した結果、「思い込みが激しく、神経質なメンバーが集まったときほど蓋が回りやすい傾向にあること」を突き止めました。とりわけ女子供が占める割合が大きく、被験者の大半が神仏の祟りや幽霊を信じていたのです。

 この分析から、円了は「こうなってほしい」と望む予期意向と、無意識に手が動いてしまう不覚筋動(ふかくきんどう)が結びついた結果、被験者自身が無意識に蓋を動かしているのだと解明したのです。

 彼の研究成果をまとめた『妖怪学講義』は明治天皇にも愛読され、後に民俗学を切り拓く柳田國男にも大きな影響を与えたそうです。

 円了は妖怪を大きく「虚怪」と「実怪」に分類しています。
 
 「虚怪」とは、人間の錯覚や先入観が生み出す妖怪のことで、こっくりさんは人間の作為に起因する「偽怪」に属します。偶然の出来事を妖怪の仕業と取り違える、「誤怪」も珍しくありません。

 「実怪」は、「仮怪」と「真怪」に分かれ、「仮怪」が今は正体不明でも将来的に解明の期待が持てるものであるのに対し、「真怪」は完全に人知を超えたもの……真性の怪異として位置付けられました。

 妖怪学の権威として研究に打ち込む一方で、ただ科学的に否定して終わるのではなく、「人知を超えた真怪が存在するかもしれない」という可能性を残し、未知を探求し続けた姿勢にこそ、円了のロマンが感じられます。

おわりに

 以上、明治時代に大ブームとなった「こっくりさん」の真相と、それを解明しようとした井上円了の考察をご紹介しました。

 江戸時代には妖怪の呼称が存在しなかったなんて意外ですね。妖怪を円了が学問の域まで昇華させた、円了の偉大さが偲ばれます。

【参考文献】
《 筆者厳選の一冊 》
  • 井上円了と柳田国男の妖怪学
  • 三浦 節夫/教育評論社
 記事を書くにあたり最も参考にした本書は、妖怪学の始祖・井上円了と民俗学の父・柳田国男の哲学や研究スタンスを対比し、似て非なる二人の思想の違いや共通点を掘り下げていく一冊です。
 井上と柳田の根底にある妖怪への深い愛や、日本の原風景への郷愁が感じられ、大変読みごたえがありました。妖怪の概念が生じる土壌に興味がある方、妖怪学の本質を知りたい方にはぜひ読んでほしいです。

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