豊臣秀長を支えた側室・光秀尼(お藤)の生涯。尼僧から大納言家の支えへ

  • 2026/09/17
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 豊臣秀吉(藤吉郎)の立身出世を懸命に支え、ついには天下を獲らしめるに至った豊臣秀長(小一郎)。その献身的な活躍は広く知られるところですが、秀長もまた多くの者たちに支えられていました。

 今回は秀長を支えた一人である光秀尼(こうしゅうに)をご紹介。果たして彼女はどんな生涯をたどったのでしょうか。

秀長との出会い

 光秀尼は天文21年(1552)に誕生しました。実名は不詳(一説にお藤)で、後に夫となる秀長は天文9年(1540)生まれですから、ちょうど一回り年少になります。

 両親は秋篠伝左衛門(あきしの でんざえもん)と鷹山頼円女(たかやま らいえんむすめ)。ともに大和に土着している国人で、伝左衛門は興福寺(奈良市)の宗徒、すなわち半僧半武士的な存在でした。

 光秀尼は秀長と出会う前に出家しており、法華寺の比丘尼(びくに。尼僧)だったと言われています。江戸時代の書物『奈良名所八重桜』によれば、二人の出会いはこんな具合でした。

 ある時、法華寺を訪れた秀長が光秀尼に一目ぼれ、そのまま大和郡山城へ「お持ち帰り」してしまうのです。一夜を共にした後で法華寺へ送り返された光秀尼ですが、法華寺としては不犯(ふぼん。姦淫しないこと)の戒律を犯した彼女を受け入れる訳にはいきません。帰るところを失い、困り果てた光秀尼は、伯母の心慶尼(しんぎょうに)が住職を務める弘文院(興福院)に身を寄せます。

 そんな事とは知る由もなく、秀長はのうのうと暮らしていたことでしょう。少し考えればわかりそうなものですが……万事几帳面なイメージの秀長にも、意外と無責任な一面があったのかもしれませんね。

娘を出産し、秀長に迎えられる

 やがて光秀尼が懐妊の兆しを見せると、縁家である菊岡宗政(きくおか むねまさ。菊田とも)の館へ移りました。さすがに寺院内で出産とはいかなかったからです。

 そこで女児(おきく。のち大善院)を出産しました。その話を聞いた秀長は、光秀尼母娘を大和郡山城へと迎え入れます。時は天正15~16年(1587~1588)ごろと考えられているようです。

 光秀尼は還俗(げんぞく。尼僧をやめ俗世間へ還ること)して「お藤」と改名し、晴れて秀長の側室となったのでした。

 果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、二人の出会いがどのように描かれるのでしょうか。もしかしたら、秀長の主人公イメージを損なわないよう、光秀尼の存在は割愛されてしまうかも知れませんね。

秀長の死後

 ともあれ秀長の側室となった光秀尼改めお藤は、一人娘(※娘が二人いた説もあり)の成長を見守る日々を送りました。

 天正19年(1591)1月には義理の甥(秀長の姉が産んだ子)である羽柴秀保(ひでやす)が、娘・おきくに婿入りします。ただしこれには異説があり、秀保と結婚したのはおきくの姉(実名不詳。光秀尼が産んだという説もあり)であったとも言われるようです。

 共に年少であったため、おままごとのような夫婦でした。それでも嫡男の羽柴与一郎を亡くして以来、男児がいなかった秀長は、これで一安心できたかもしれません。

 かくして愛娘の婿取りを見届けた秀長は、その月の22日に世を去りました。お藤は再び出家して伯母がいる弘文院(興福院)に入り、秀長の菩提を弔います。

 この時点で、元々俗人であったお藤が初めて出家し、摂取院光秀尼と号したという説もあるようです。

 そして娘夫婦を見守る日々を送っていましたが、文禄4年(1595)に秀保が亡くなったため、秀長家(大和大納言家)は断絶してしまいました。

娘にも先立たれた晩年

 その後、おきく(秀保の死後に出家して大善院)が慶長14年(1609)11月29日に22歳という若さで先立ち、光秀尼は孤独な日々を送ります。

 おきくは毛利秀元(毛利輝元の養子)に嫁いでいたとも言われますが、異論もあり、はっきりわかっていません。

 やがて元和6年(1620)に伯母の心慶尼も亡くなったため、弘文院(興福院)の住職を継ぎます。そして元和8年(1622)2月8日、光秀尼は世を去りました。享年71、法号は藤誉光秀大姉(とうよこうしゅうだいし)または摂取院藤誉光秀比丘尼(せっしゅいん とうよこうしゅうびくに)と贈られたのでした。

おわりに

 今回は秀長の側室・光秀尼お藤について、その生涯をたどってきました。仏道に帰依していたところを、秀長の気まぐれで運命を狂わされてしまいましたが、果たして彼女は幸せだったのでしょうか。

 また、伯父・秀吉の天下一統(天正18・1590年)から豊臣滅亡(慶長20・1615年)までを見届け、世の無常を感じていたかもしれませんね。もし光秀尼が「豊臣兄弟!」に登場するなら、どのような人生が描かれるのかはもちろん、誰がキャスティングされるのかにも注目です。

【参考文献】
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  この記事を書いた人
鎌倉の最果てに棲む、歴史好きのフリーライター。時代の片隅に息づく人々の営みに強く興味があります。 得意ジャンル:日本史・不動産・民俗学・自動車など。 執筆依頼はお気軽にどうぞ!

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