【豊臣兄弟!】羽柴秀吉と長宗我部元親との戦争はなぜ引き起こされたのか?
- 2026/09/23
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大河ドラマ「豊臣兄弟!」第36回は「姫若子と鬼若子」。羽柴秀吉によるいわゆる「四国征伐」が描かれました。
四国征伐は、土佐を平定し四国全土を手中にした長宗我部元親を羽柴秀吉が攻撃したものです。天正13年(1585)に勃発した戦争ですが、それ以前より秀吉は長宗我部氏を討ち取る意向を示しつつも、武力を用いずに元親を屈服させることも視野に入れていました。秀吉は当初、伊予と讃岐国を返上すれば、土佐と阿波国は長宗我部氏に安堵することを提案しています。元親にすれば四国は自らが切り取ってきたとのプライドがあったでしょうから、秀吉の提案は易々と呑めるものではありません。
とは言え、四国統一戦争の過程において、長宗我部方も疲弊していましたし、強大な秀吉軍を相手に戦うことは元親としては避けたいところ。よって元親は伊予一国の返上で妥協せんとしますが、秀吉は伊予・讃岐両国の返上を強硬に要求。ここに交渉は決裂し、開戦となるのです。
秀吉は先陣として黒田官兵衛孝高を淡路国に遣わすことを指示しています。秀吉の弟・秀長にも6月3日に四国に出陣することが命じられます。秀吉が総大将として出陣する予定でしたが、病気になってしまいました。そこで秀吉の代わりに総大将となったのが秀長です。秀吉の甥・秀次が副将となりました。
『天正記』(四国御発向并北国御動座事)には秀長は「八万余騎」を率いたとあります。秀長率いる大和・紀伊・和泉国の軍勢は淡路島の洲本に渡海、秀次が率いる摂津・丹波の軍勢は明石から淡路島の岩屋に着岸。その他には毛利輝元らの軍勢が伊予国新麻(愛媛県新居浜市)に着陣、宇喜多秀家らの軍勢は讃岐国の屋島に上陸します。多方面から同時に侵攻したのです。
長宗我部方の軍勢は4万ほどと言われていますので、多勢に無勢。長宗我部方は劣勢となり、8月上旬に講和が成立します。元親は土佐一国を安堵されることになりました。





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