なぜ宮内庁は天皇陵墓の発掘調査を許可しなかったのか
- 2026/10/07
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令和元年、世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」。大阪市南部の限られた範囲に、49基もの古墳が点在する壮大な古代の名残りです。
その中でもメインとなるのが、世界最大級の仁徳天皇陵。そんな天皇陵を見学に多くの人々が訪れるのですが、残念ながら堀の外から眺めるだけでせっかくの仁徳天皇陵をイメージすることができません。それというのも、これまで宮内庁が決して立ち入りや発掘調査を許さなかったことにあるようです。
その中でもメインとなるのが、世界最大級の仁徳天皇陵。そんな天皇陵を見学に多くの人々が訪れるのですが、残念ながら堀の外から眺めるだけでせっかくの仁徳天皇陵をイメージすることができません。それというのも、これまで宮内庁が決して立ち入りや発掘調査を許さなかったことにあるようです。
宮内庁が管轄する陵墓
日本各地に残る数多くの古墳。今でも、新しい古墳発見のニュースが報道されると、誰が埋葬されているのかとか、宝物は見つかるのだろうかなど、考古学ファンなら期待で胸がときめきますよね。発見された古墳から古代の謎が解明されたり、更には日本の古代史が覆るようなことが起きるかもしれません。過去に見つかっている多くの古墳は文化庁が管理しているのですが、天皇に関わる陵墓は宮内庁の管轄になっています。陵墓というのは、歴代の皇室関係の墓所のことですね。現在の天皇陛下は第125代となりますので、初代から先代まで124の御陵があることになります。 天皇・皇后・皇太后のお墓を「御陵」、その他の皇族のお墓を「御墓」、両方をまとめて「陵墓」といいます。
宮内庁が管理する陵墓の数は、全国で896カ所にもなります。それだけの数が宮内庁できちんと管理できているのでしょうか?
宮内庁管理の陵墓は、北は山形県から南は鹿児島県まで1都2府30県にわたって存在しています。さらに被葬者の特定は出来ていないが陵墓である可能性が高い、とされる陵墓参考地も含めると、実際に管理されているとは到底思えませんね。
立ち入れない天皇陵
大阪府の堺市に点在する「百舌鳥・古市古墳群」。令和元年7月に世界文化遺産に指定されました。堺市の「百舌鳥エリア」には、仁徳天皇陵などが23基があり、羽曳野市と藤井寺市にまたがる「古市エリア」では応神天皇陵など26基が点在しています。限られたエリアに合わせて49基と、まさに古墳の集結地ですね。
そして世界遺産になると、多くの観光客が訪れます。しかし現状では、古代を想ってやってきた人々が、がっかりして帰ってしまうことになりそうです。仁徳天皇陵や履中天皇陵といった天皇の墓とされる古墳については、文化財保護法の適用外になっているため、宮内庁によって古墳への立ち入りや、学術調査が厳しく制限されているためです。
現在は一切立ち入りを許さない天皇陵。しかし江戸時代までは庶民にも身近な存在でした。農業に関しては、墳丘の林が燃料や肥料の供給源となっていましたし、古墳周囲の池は農業用水に利用されました。大きな古墳の森林は、庶民の遊覧の場となり、春にはお花見で酒盛りも行われていたのだとか。
謎の解明はできるのか
天皇の陵墓とされる巨大古墳には謎がいっぱいです。いかなる理由があるのか、頑なに立ち入りを拒む宮内庁と、文化財としての調査を望む研究者。その両者の対立が、これまで謎の解明を阻んできたのです。世界遺産が掲げる理念は、観光振興ではありません。人類が共有すべき普遍的価値を持つ建築・遺跡・自然を守り、後世に残すこととなっています。その理念からも世界遺産として登録された以上、学術調査も行われやすい環境にしていくことが必要でしょう。仁徳天皇陵とされる古墳も、実際は誰の墓かは定かではありません。古墳群のうち天皇陵に指定されたものは、江戸末期から明治にかけて、江戸幕府や明治政府が天皇を政治利用する意図があったといえるでしょう。
そもそも古墳に被葬者名は残されていません。確たる証拠もなしに、天皇の権威を背景にして成立した明治政府が進めたと考えられます。これこそ宮内庁が天皇陵墓発掘調査を許さない理由に大きく関係しているのかもしれませんね。
そのためか、宮内庁に立ち入り禁止の理由を聞けば、「皇霊の安寧を犯すべからず」という返事があるだけです。
ついに禁断の地へ
しかし完全閉鎖されている場所が、令和3年11月に発掘調査が行われました。その理由は天皇陵の護岸の傷みが激しく保全工事が必要になったためです。つまり、工事のための調査ということで、古墳の中心部の調査ではありません。外周にある堤が調査地となっていました。とはいえ、一応は天皇陵の内側なので、それなりの成果が期待でき、そして調査によってたくさんの埴輪が出土し、堤の縁に沿って多くの埴輪が並べられていたことが判明したのです。その規模から、埋葬者はかなりの権力者だったことがわかります。
この調査に関して宮内庁が行った会見で、埋葬者に関しての質問が飛びました。しかし被葬者に関しては一切触れず、その一方で決して文化財の価値を否定している訳ではないと付け加えているのです。
膨大な人員と10年単位の年月を費やして巨大古墳をつくらせた権力者は、いったいどんな人だったのでしょうか。日本史の謎が古墳調査で少しでも解明されれば、本当の意味での世界遺産となるでしょうが…。
古史古伝は偽書なのか
ではなぜ、宮内庁は陵墓に眠っている人物を特定するのでしょうか?発掘や調査を許さない宮内庁では、日本の正史とされる『古事記』と『日本書紀』に記されている情報だけで、天皇や皇后などの皇族を治定しているのです。治定とは、陵墓の被葬者を特定することをいいます。つまりは、現在具体的な天皇の名が付いた陵墓は、全てが『古事記』と『日本書紀』という二つの文献から考察されたものなのです。何一つ陵墓に眠る人物が特定されていないという訳です。
古代史を伝える文献としては、『古事記』と『日本書紀』以外にも、『ウエツフミ』や『富士宮下文書』、さらには各地に伝わる風土記など結構多くの文献が残っています。ただこれらは、基が神代文字で書かれていたという理由だけで古史古伝と呼ばれ、全てが偽書と決めつけられています。
頭から偽物だと決めず、古代の事実を記す資料として用いれば、既に名前が付いている陵墓の再検証もできるのではと思いますし、さらには今が埋葬者が不明の陵墓を解明する手がかりになるかもしれません。
とはいえ、頑固なまでに学術的な調査をさせないうえに、文献においても『古事記』と『日本書紀』至上主義を貫く宮内庁ですから、いま日本に存在している数多くの陵墓の真実がわかる日は、はるか先のことになりそうですね。





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