【豊臣兄弟!】北ノ庄城落城!信長の妹・お市の方は夫・柴田勝家と最期を共にすることをなぜ選んだのか?

  • 2026/08/31
:歴史学者・作家・評論家
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 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第33回は「北庄城の別れ」。天正11年(1583)4月、賤ヶ岳の戦い(滋賀県長浜市)で羽柴秀吉は柴田勝家に勝利します。敗れた柴田軍は越前国(現在の福井県)に敗走。秀吉軍はこれを追い、4月22日には越前府中(越前市)に着陣。その後、勝家の居城である北庄城(福井県福井市)まで進軍した秀吉軍は4月23日に同城を攻撃しました。

 『太閤記』(江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵が著した秀吉の伝記)にはこの北庄城攻めの様が描かれています。同城を包囲した秀吉方の軍勢は、四方から火を放ったので煙は「宇宙」(天)に満ち、雲の如く重なり、辺りは闇となったということです。愛宕山に登った秀吉はこの闇を見て「この暗闇こそ幸いだ。これに乗じて城の塀際より、竹束を付けよ。声は立てるなよ。声を立てたならば弓・鉄砲で撃たれるであろう」と命じたといいます。命を受けた兵士らは竹束・畳・戸などでもって、塀際に取り付きました。煙が去ると城中からは秀吉方の兵士が城の塀際まで到達しているのが見えました。城中の者は驚き、鉄砲にて攻撃を仕掛けてきます。驚き焦っていたはずですが、「浮矢」(無駄玉)はありませんでした。その落ち着いた様をもってして『太閤記』は勝家の籠城を「さすが名将の籠城」と評価しています。

 暫くして、秀吉のもとに「柴田権六(勝家の子)と佐久間盛政を生け捕った」との知らせが入りました。これにより、柴田方は意気消沈したとのこと。勝家は最早これまでと、妻の「小谷御方」(織田信長の妹・お市の方)に「貴方は信長公の御妹。城をお出になるように。必ず無事でいられるに相違あるまい」と伝えます。ところが小谷御方は涙を流し「このようなことになったのも前世からの宿業でございましょう。今更、驚きはいたしませぬ。ここを出るなど思いもよらぬこと。ただ3人の娘はここから出して頂きたい。父の菩提、私の菩提を弔わせたいのです」と言うと、夫と運命を共にする道を選ぶのでした。

 こうして勝家と小谷御方は自害して果てるのです。「さすが最期はよかりけり」と『太閤記』は勝家らの最期を立派なものとして評価しています。勝家を秀吉の威勢に嫉妬する者として悪役的に描いてきた同書ですが、その最期は見事なものとして称賛しているのです。

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  この記事を書いた人
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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