80年代渋谷カルチャーの象徴だった西武渋谷店が今年9月末に閉店
- 2026/10/02
- ※本記事は一部にプロモーションを含みます
上京したての1980年代初頭はセゾン文化華やかなりし頃で、東京タワーや新宿の高層ビルよりも、私にはここが最初に見たかった場所。東京の象徴にように思っていたのだが。それが、なくなってしまう。
西武渋谷店は、今年9月末で58年間の歴史に幕を閉じる。3月にこの発表があった時には、新聞やテレビでも大きく報道されて話題になった。昭和時代の消費文化や若者文化の象徴的存在なだけに、衝撃をうけた人も多かったようだ。
私にとっての東京の原風景。それが消えてしまう前に、見納めしておこうと行ってみることにした。
「西武渋谷店」じゃなくて「シブヤ西武」だったか!?
駅前の井の頭通りに軒をつらねるビル群のなかでも、西武渋谷店の建物は異彩を放っている。白いコンクリートの窓枠が、縦横にびっしりと格子状にならぶ。無骨な巨大彫刻のようにも見える、この建築様式は「モダン・アールデコ調」なのだとか。昭和初期に流行った意匠というから、60年代後半の竣工時からすでに古風に映っていたかもしれない。
また、脇道を挟んであるA館とB館の間に、何本も架かっている空中連絡通路。これも強く印象に残る眺めのひとつだ。A館とB館の建物を分断するこの脇道は、渋谷川水系の宇田川に蓋して暗渠化したもの。ちなみに、唱歌『春の小川』で唄われた河骨川は、この宇田川から枝分かれした支流である。かつての渋谷は小沼が点在し、大小の河川が入り組んで流れる谷底の低湿地だった。
A館とB館の間に地下通路がない理由も、地下を川が流れているからなのだが。ひと昔前には「地下にも秘密通路がある」とか「迷い込むと出られない地下空間がある」などといった噂話がまことしやかに語られていた。
そんな都市伝説が生まれるほどに、ここが渋谷の名所として知られていたということだ。それがなくなってしまうのは、返す返すも惜しい。
西武渋谷店が開業したのは1968年。本拠である池袋店の規模拡張や整備が一段落し、首都圏での店舗網拡大に乗り出していた頃だった。この前年には船橋店、翌年には大宮店が開業している。
西武渋谷開業の数年前、60年代中頃の地図を見てみる。現在の西武渋谷店A館のある場所は映画館の渋谷松竹、B館の側にも主に洋画を上映する渋谷国際が建っていた。さらに、渋谷国際の隣は名画座の渋谷パレス(「渋谷シネパレス」の名称で2018年まで営業)で、現在は「QFRONT」が建っているスクランブル交差点前も、当時は東宝系の映画館だった。60年代頃の渋谷界隈は30を越える映画館が建ちならぶ映画の街だった。
また、井の頭通り沿いに「丸井家具店」とあるのは現在の丸井デパート、当時は月賦販売の家具店からデパートへの転換を図っていた頃だった。それが80年代のバブル期になると、DCブランドの分割払いで若者たちに支持が広がってゆく。〝マルイの赤いカード〟は現代のスマホと同じくらいに、若者たちには手放すことができない必携品。西武百貨店を中核とするセゾングループとならんで、バブル期の消費文化を体現する存在だった。
そのマルイの先につづく公園通りだが、地図には商業施設がまったく書かれてない。60年代は渋谷区役所のある官庁街といった感じで、人通りも少なく地味な場所だったという。そもそも公園通りの名称は、1973年の渋谷PARCO 開業を機に命名されたもの。以前は「区役所通り」と呼ばれていた。
その後の渋谷は、しだいにファッションや音楽、映画などの最先端があふれる街として注目が集まるようになる。70年代の新宿に代わり、若者文化の流行発信地になってゆくことになる。
そして、1981年には糸井重里氏による西武百貨店のキャッチコピー「不思議、大好き。」が登場する。翌1982年にも「おいしい生活。」が世間で話題になり、そこからコピーライターブームも巻き起こった。現代の大学生の憧れる職業といえば IT エンジニアやコンサルタントあたりか?それがこの頃はコピーライターだった。
スクランブル交差点を渡って、西武渋谷店の青い看板、いや、違うな……当時は「シブヤ西武」と表記されていたっけ。カタカナがよく似合う空気感だった。
建物の壁面にかかる大きな垂れ幕や、エントランスに貼られたポスターに大きく書かれた「不思議、大好き。」のキャッチコピーも、たんなる百貨店の広告文ではなく、時代の空気や価値観をかたちにしたものだった。西武渋谷店もまた、商品を売るだけの場所ではなく、当時の人々には、時代を象徴する場所として認識されていたと思う。
減りつづけるカウントダウンの数字に未練がつのる
さて、いまの西武渋谷店を見てみると、建物にはキャッチコピーを書いた垂れ幕やポスターが見あたらない。今年のキャッチコピーは何なのだろうか?かつての「不思議、大好き。」や「おいしい生活。」は、探す必要もなくテレビや雑誌、街中で嫌というほど見かけたのだけど。
ネットで検索したところ、今年の西武・そごうのキャッチコピーは「わたしは、私。」だという。最後が「。」で終わるのは80年代からの伝統なのだろうか。しかし、今時の若者は LINE とかの文章の終わりに「。」を入れるのを嫌がるという。
かつての若者文化の象徴も、昨今では若者感覚とはズレているのか?
エントランスの付近には今年のキャッチコピーの代わりに「ありがとう渋谷」と書かれた看板やポスターを多く見かける。また、A館の井の頭通りに面した側には、閉店までの日数をカウントダウンする壁面広告も設置してあった。これが日毎に数字を減らしてゆくのを見ると寂しさが募りそう。
館内に入ると、1階の柱や壁には58年の歴史を記録した写真を貼った特設コーナーもあり。だが、見回してみると商品が少なく、寂しい眺めになっている。
上階に登ると、さらにその印象が強くなる。陳列棚が撤去された殺風景な広い空間もあちこちに見かける。撤収の準備が進んでいるといった感じ。西武渋谷店は、昭和時代後期の消費文化を牽引したセゾングループの象徴的存在だった。それだけに、この眺めにはいっそうの寂しさを感じてしまう。
店内から外に出て、道ゆく人々を観察してみる。と、カウントダウンの壁面広告や閉店を告げるポスターを眺めるのは中高年ばかり。若者たちは足も止めずに通り過ぎてゆく。この建物が、かつてどんな夢を見せていたのか。その記憶を持たない世代には、惜別の対象にはならず。ただの役目を終えた建物でしかない。取り壊してしまえばすぐ、ここに何があったのか忘れるだろう。そこに何があったのか、次の世代に伝わることはない。
東京のスクラップ&ビルドは、壁や床だけではなく、かつてそこに満ちていた空気まで跡形もなく消し去ってしまう。





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